スティーブ・マックイーンが言い残していったこと


〜 暮らしの手帳 〜


スティーブ・マックイーンはいい男だった。映画の中の彼は、めったに笑わ なかったが、上目づかいにニッと苦笑するように笑うと、胸にしみとおってくるほどのあたたかさがあった。 小さいときから、両親にめぐまれず、職業を転々とし、辛酸をなめただけあって、型どおりのスーパー・ヒ ーローを演じても、薄っぺらにならず、奥行きを感じさせてくれた。いつでも、まっとうで、芯のとおった 役どころを演じ、私たち庶民にかわって、夢をかなえてくれるスーパースターだった。 そのマックイーンが逝ってしまった。去年の十一月七日、ガンとの戦いに 敗れて、去っていった。まだ50歳だった。
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そのわずか三日後の十一月十日、日本の東京地裁では、亡きマックイーンに 対し、一つの判決が言い渡された。マックイーン
主演した映画「栄光のル・マン」のフィルムやスチール写真が、彼に無断で商品広告に使われたことに対して、 総額百万ドル(当時3億六千万円)の損害賠償を求めた、いわゆる「肖像権裁判」の第一審判決であった。 翌十一日の各新聞は、派手にその結果を報じている。「百万ドルの顔敗訴」 「マックイーンあの世で敗訴」「栄光の肖像権、侵していない/ マックイーン敗訴/広告の慣行にも勝てず」「100万ドルの肖像権は"幻"/ あの世でガックリ」つまり、マックイーンは自分が起した訴訟に敗けたので ある。
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この裁判のことを、もう少しくわしくみてみよう。昭和46年7月から日本で上映された「栄光のル・マン」 の公開に当って、映画の配給会社の東和は、松下電器産業およびヤクルトと組んで(タイアップして)広告 をしようと考えた。これには広告会社の電通もかかわっていた。そして、松下電器は写真のように、ワールド ボーイというラジオを、映画の一場面のマックイーンと組み合わせ、パンフ レットや新聞広告に使った。ヤクルトは、ジョアという乳酸飲料のテレビコマーシャルの中で、やはり「ル・ マン」の中のマックイーンのフィルムを流した。こういう広告が流されてい ることは、マックイーンの全くあずかり知らぬことで、まさに寝耳に水のこ とであった。ひとづてにこのことを知った彼は、自分にことわりなしにこのようなことをしてもらっては困る と、昭和48年に松下電器、ヤクルト、東和、電通の四社を相手に裁判をおこしたのである。その当時の新聞 をひっくり返してみると、「ボクの顔は100万ドル」「顔の無断使用はけしからん、三億六千万円支払え」 などの文面が見える。百万ドルというのが、私たちにとってはケタちがいで法外にもおもえるものだけに、 マスコミの注意は主にそっちのほうにいってしまったのではないか。先にあげた、裁判記事の見出しも、この 百万ドルをかかげたところが多かった。しかし、マックイーンにとって、 じつは百万ドルなんてそれほど問題なことではなかったのである。それではなぜ マックイーンはこんな裁判を起したのか、なにが言いたかったのか---。この 裁判に当って、マックイーンは三年まえの昭和53年4月に来日し、自ら法 廷に立って証言をした。自分がなぜ、この裁判を起したか、について、彼はとつとつと、くり返しくり返し 述べたのであった。いま、それを聞いてみよう。
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(松下の新聞広告を示して・・)
問 (原告代理人)この広告をするについて、あなたのほうに承諾を求めてきたということはありますか。
答 (マックイーン)私の記憶する限りありません。かりにあったとしても、 たとえ百万ドルでも承知しないでしょう。安っぽく出来ております。
問 これは、宣伝の種類としては、映画の宣伝になるのでしょうか、それ以外の広告になるのでしょうか。
答 疑いもなくこれは製品のための広告であって、私を利用してその製品を宣伝しております。
問 その理由を・・・
答 ここには、製品の名前が大きく出ておりますし、私は真中に存在しています。非常に趣味がわるいし、 私としては、絶対にこういうことをやらなかったろうとおもいます。
問 ヤクルト関係のことを聞きます。(テレビのCMを説明して)このコマーシャルは、映画の宣伝なんで しょうか、それ以外の広告でしょうか。
答 これは、明らかにヨーグルトの会社が、私を使ってヨーグルトのことを宣伝しています。私はヨーグルト は全然好かないのです。非常にひどい味がするとおもいます。 これは、その製品の広告をしています。私に対して、名前を使っていいかという照会などはありませんでした。
問 かりに承諾を求めてきた場合にはいくらかお金をとってやったでしょうか。
答 たとえ百万ドルでもお断りしたでしょう。私はヨーグルトは好かないのです。残念ですけれども。
(中略)
問 (松下のラジオのパンフレットを見せて)・・・このパンフレットにあるラジオを知っていましたか。
答 パナソニックですか、知りません。
問 知らない商品といっしょに、あなたの肖像がパンフレットにあるということについては、あなたは どういうふうに感じますか。
答 なんともおどろくべきことで・・・
問 あなたがある製品について、コマーシャルフィルムを作るというような場合には、その製品の品質なり 性能について、よく知っていることが必要だと考えますか。
答 もし、俳優が契約を結んでいればそういった選択権はないでしょう。しかし私の場合は、フリーランサー として、またビジネスマンとして自由な立場にありますので、私が100パーセント確信をおいているもの でなければなりません。
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マックイーンは、自分がその製品の品質とか性能についてよく知り、しかも 100パーセント確信がおけるものでなければ、広告宣伝に出ない、と言っているのである。彼は、 ナショナルのそのラジオを、それまで見たこともさわったことも、もちろん聞いたこともないのだ。 そういうものの宣伝に、しかも無断で使われることが許せない、いや、かりに知らされたとしても、百万ドル もらったとしても断っただろう、というのである。ヤクルトの場合は、もっと明快だ。自分はヨーグルトは きらいだ、その自分が、ヨーグルトの宣伝をする筈がない。これまた百万ドルもらっても、絶対やらない、 というわけだ。
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マックイーンはかつてホンダのオートバイのコマーシャルに出たことが あった。ホンダと契約した特別な理由があるのか、という質問に対しては、こう答えている。
---もちろん、特別な理由がある。私は、私自身ホンダのオートバイを使っているし、レースもした。 しかも、本田氏自身をエンジニアとして尊敬している。アメリカで、彼と食事をしたこともある。彼を 信頼もしている。だからこそ、ホンダのコマーシャルに契約したのだ。そういう信念がなければやらな かっただろう。というのは、私は、責任がある。私を見に来る人、見に来てくれる人、観客の人に対して 責任がある。だから、私自身が製品を信じなければならない---
マックイーンはこのときホンダとの契約で、25万ドルを得ている。 しかし、じつはこれより以前に、おなじホンダから百万ドルでコマーシャルを申し込まれたのを断って いるのである。なぜ25万ドルの契約は引き受けて、百万ドルのほうは断ったのか、この質問に、彼は こんなふうに答えた。---オートバイの安全運動のためのコマーシャルで、全世界に私がホンダを代表 するというようなことだった。しかし、やらなかった。その理由は、内容をみてみると、安全運動と いうよりも、むしろオートバイを売る方に重点がおかれている感じだったからだ。だから私は百万ドル でもやらなかった。しかし、あとからのもの、つまり25万ドルのコマーシャルは、これはホンダの バイクに乗り、安全を強調して、ある種の服を着て乗るということ、そして安全のためにどういうこと をしなければいけないのか、とくに舗装もしてないようなところを運転するときには、どうしなけば いけないのか、そういこうとを宣伝するものだった。だから、私は25万ドルでもやったのだ。
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私には責任がある。私を見に来てくれる人に対して、私のファンに対して私を信頼してくれる人々に 対して、私は責任がある---と彼は言うのである。彼は、自分のファンについて、こう考えている。 ---私の育った環境は、非常に貧しく不遇でした。そういうことも反映して、子どもから年よりまで、 いわゆる貧しい、働らく人たちが多いとおもいます。たとえば、トラックの運転手とかセメント工だ とか、パン屋さんだとか、つまりふつうの庶民、そういう人たちが多いとおもうのです。私はこういう 私のファンの人たちをだますというようなことはしません。私が映画を作る場合には、最善をつくして、 みんなを失望させないように努力しています。だからこそ、いまも私のファンだといってくれる人たち が多いのだとおもいます。非常に正直に、自分のやること、演技上からも、みんなをだまさないように しています。---だから、私にとって一番大切で必要なものは、私自身のイメージ、私自身のなまえ、 スティーブ・マックイーン、それがすべてなのです。
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スティーブ・マックイーンが、彼の苦難と成功と、そして死をかけて 守りとおそうとしたものは、彼自身が作り上げた、彼自身のイメージではなかったか。ファンに対して、 世界中に対して、自分を信頼してくれる人たちを裏切ってはならない、だましてはならない、つねに、 信頼には信頼をもってこたえなければならない、というそのことではなかったのか。
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どういうわけか、日本での彼の裁判は敗れた。あの松下電器やヤクルトの広告は、自分のイメージを 使って商品を宣伝しようとしている---というマックイーンの主張は 受け入れられず、あの程度のものは、商品を直接保証はしていない、 日本の慣習上、とくに許可をえなくてもかまわない。むしろ、あの広告で、映画はよりヒットした ではないか、それでお前もよりもうかったではないか---という判決であった。
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この判決のときに、マックイーンが生きていなくて、よかったと おもう。日本の慣習はどうか知らないが、すくなくとも彼の訴えたかったことは、ほとんど うけとめられることなく、全然くいちがった返事がかえってきたのだから。
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しかし、それにしても、いまの日本のコマーシャルはひどすぎはしないか。テレビにも新聞にも 雑誌にもどこにでも、芸能人、文化人、スポーツ選手、学校の先生・・・だれかれの区別なく、 商品や企業の宣伝にご登場である。もちろん、ほとんどの人たちが、 スティーブ・マックイーンのように、信念を持って、自分の イメージをかけて宣伝に参加しているのだと信じたい。
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私たち庶民は、「あの人が宣伝している商品なら大丈夫」「あの先生が保証してくれるのだから」 と、ついおもってしまうのである。メーカーの言うことよりも、有名人のイメージのほうを信頼 してしまうのである。それだけに責任が重いのである。「私には責任がある。私のファンに対して、 私を信頼してくれる人たちに対して、私には責任がある---」こう叫んだ マックイーンの言葉を、もう一度きいてほしい。そして、心の奥 にしっかりと受けとめてほしい。

〜 1981 january-february 暮らしの手帳社 刊〜





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